Category: 余談
Posted by: Kurihara
現在、私の会社では「週3日・残業無し・10時~18時」または「週5日・残業無し・10時~16時」
という条件でPG(プログラマー)またはSE(システムエンジニア)の経験者を募集している。

これは厚生労働省が普及を図るワークシェアリング、多様就業対応型の実践と言える。
情報サービス業でこれを実践している企業は意外に少ない。
やはり依然としてシステム開発に残業は当たり前、納期が迫れば徹夜作業も辞さないというのが
この業界の常識なのだろう。

■時短・残業なし
野球でもサッカーでもフルに出場している選手が必ずしも勝利に導いてくれるとは限らず、
短時間で勝利に導いてくれる優秀な選手は存在する。
仕事も同様で、勤務時間の長さが全てではない。
これが当社の考え方である。

子育て等の事情で「働く時間を制限せざるをえない人」も
10時~16時という短時間勤務であれば、保育園の送り迎えが可能である。
子育て優先も当社の方針なので、子供が病気のときなど急な欠勤もOKとしている。

そして、当社の場合本当に残業がない。
別に仕事が少ないから残業が無いわけではない。
残業なしを当社の方針の1つとして掲げ、実現しているのである。


■週3日
お客様に満足して頂ける喜び、仕事が認められる充実感
やり甲斐のある仕事は「生活費を稼ぐ」以上に人生を充実させてくれるものである。

しかし朝から深夜まで仕事に追われ、最小限の時間で食事を済ませ、家には寝に帰るだけ。
「自分は何のために働いているのだろう・・・」時にはふとそんなことを考える。
そんな経験をもつ人は少なくない。

いい仕事もしたいが、自己啓発、社会活動への参加にも重きをおきたい。
当社にはそんな多様な価値観を認める土壌がある。
週3日はバリバリ働き、残りの4日は趣味に打ち込む、
実際にそんな生活をしているスタッフが当社にはいる。


せっかくPGやSEとしての能力をもっている人が一般事務など
その能力を生かせない仕事に就くのは非常にもったいない話である。

興味がある人や該当する人を知っている人はぜひ、
下記の当社求ページにアクセスして条件等を確認してほしい。

http://www.newsbit.co.jp/corporate/recruit.html
Category: 余談
Posted by: Kurihara
多くの人が若いころより1年が早く感じるはずである。
実際そうした会話をよく耳にする。

ではなぜ早く感じるのか?

1年は365日で、1日は24時間であることは生まれてこのかた変わっていない。

しかし、なぜそう感じるかを深く考えたことがあるだろうか?

考えたところで、1年が長く感じるわけでもないし長生きできるわけでもないので、ほとんどの人が考えたことはないだろう。

そこで今回は、時間は不変なのに、なぜ、「年々早く感じるのか」に(屁?)理屈をつけてみる。


最初に、時間は目に見えないし分かりにくいので、お金で考える。

まず、あなたの全財産が1万円だと仮定する。
その場合、1万円の商品を購入するとしたら一大決心が必要となる。
つまり、1万円使ってしまえば無一文になるわけで、1万円はあなたにとって非常に大きな金額であることになる。

同様にあなたの全財産が20万円だった場合を想像したらどうだろうか?
1万円の商品を購入する際の決心は、全財産が1万円の時よりはかなり気楽になるだろう。
つまり、あなたにとって1万円の感覚的な価値観が全財産が1万円の時より低くなったことになる。

仮に全財産が100万円あるとすれば、さらに1万円の商品を購入する際の気持ちは楽になるのは明らかである。

つまり、自分が持っている財産によって、あなたにとっての1万円の価値観は変わることになる。
しかし、実際に1万円で買えるものが変わるわけではなく、絶対的な価値は何ら変わっていないのである。


時間の経過も同じことで、1歳にとっての1年はそれが全てであり長いとか短いと考える基準が存在しない。

20歳の人にとっては20年生きてきた中の1年、100歳の人にとっては100年生きた中の1年なのである。

したがって、お金で考えた場合と同様に1年あたりの感覚的な価値観は、自分が生きた年数により変わるのは当然で、多くの人が年を取るごとに一年を早く感じるのは、時間の基準が長くなるため1年の感覚的な長さが短くなることが原因なのである。


このことは、特に何の根拠もないので異論は多いと思うが、こうした事に(屁?)理屈をつけることは、発想力を鍛えたり、物事を論理的に考えるトレーニングにもなるのでお勧めである。
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Posted by: Kurihara
お客様からの問合せで多いのが、データベースを開発した場合の概算金額である。

確かに開発費がどのくらいかかるかは、データベースを開発するかどうか判断するにも非常に重要だと思う。

しかし、いくら概算でといわれても、業務の内容やどのように使うかかなどある程度全体像が把握できないとデータベースの構成もイメージすることが出来ないので、金額を出すことは出来ない。

「経験」と「勘」で金額を言ったところで、詳細に話を聞いて見積もりした段階で相当な金額のずれが生じることもあり、何の意味もないことになる。

データベースの開発に際して、原価といえるのはSEやPGの人件費であり、開発期間がどの程度かかるかというのが金額を出す際にひとつの目安となる。

したがって、出来上がったデータベースが仮に同じだとしても、クライアントの準備もよく1ヶ月で完成する場合と、未決定部分や作り直しが多く2ヶ月も3ヶ月もかかるような場合では金額は異なってしまう。

つまり、概算見積もりは未知な部分が多いほど、リスク回避のために開発期間を長めに想定する必要があり、その分金額が高くなるので出来るだけ考えをまとめて依頼したほうが安い金額が出てくることになる。

そこで、概算見積もりを依頼する際には、以下の項目について分かる範囲でいいのでまとめてからにすべきである。

1.会社の業務内容全般
2.どんなデータで現状どのように管理(既存DBの有無等)しているか
3.管理するデータ数(たとえば顧客数)の現状と将来的なMAXの想定数
4.データの入力、閲覧はそれぞれ何名ぐらいの方がどこから行うのか
5.入力・閲覧等の制限等セキュリティについての条件(要望)
6.社内のネットワークだけで使用するのか、外部からも使用するのか
7.インターネットで公開する必要があるか

これらの項目を伝えれば、ある程度の金額を出すことは出来るし、出せない会社は余程慎重か経験が無い可能性もあり、概算を知るという意味では敬遠したほうがいいかもしれない。

ちなみに、私の会社では、Accessによるデータベース構築の専門サイト(Access-db.com)を運営しており、その中にAccessによるデータベース構築価格目安があるので参考にしてほしい。
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Posted by: Kurihara
何も無いところから生み出す力が発想力だとすれば、若い人になればなるほどその能力は低下してきているのではないだろうか?

発想力は、「ひらめき」・「思いつき」・「アイデア」などの能力と言い換えることもできるが、ビジネスにとって非常に重要な能力である。

何か新しいビジネスを生み出したり、難題を解決する場合には奇想天外な発想は欠くことができない。誰でもが思いつくようなことではなく、凡人には想像もつかない奇抜な考えが時に必要なのである。

しかし、そうした能力はある日突然身につくものではない。

私は、発想力は子供のころからの脳の使い方によると考えている。

何が重要かといえば子供の遊びである。
遊びの中で知らず知らずのうちに発想力は鍛えられるのである。

昔の子供たちと今の子供たちの決定的な違いは、遊びを考え出さなくてはならないか、与えられたものを使って決められたルールで遊べばいいかではないだろうか。

昔の子供たちは、その辺に転がっているものを使って何かを作ったり、それらを利用して自分たちでルールを決めて遊ぶしかなかったし、それが当然で何の疑問も感じなかった。つまり、遊ぶためには何をどうすれは楽しいかを考えなければならなかったのである。
それに対して、現代の子供たちは氾濫する遊びの中から何かを選択し、その決められた方法で遊べばいいし、飽きたら別の遊びをすればいいわけである。

つまり、昔の子供の遊びには、ビジネスに直結する発想力と問題に突き当たったときに何とかする考えの原点があるのである。

現代の子供たちに昔の遊びを強制することはできないが、そうした遊びの要素は取り入れてほしいものである。

そして、さらに重要なことは、一生懸命考えることである。
子供の時であれば、どうすれば楽しめるかを一生懸命考えること。
ビジネスであれば成功するための企画を必至に考えるのである。

アイディアは、一生懸命考えることで思いつくのであり、何も考えないのに湧き水のように溢れ出てくるような天才は、やたらにいるものではないのである。

常に考えていると、ふとした瞬間に昨日までいくら考えても解決できなかった問題の解決方法がひらめいたりするようになる。
そうなると、常に考えていることは苦になるどころか、楽しみになるのである。

「途中であきらめずに一生懸命考えること」それが発想力を鍛える基本なのである。
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Posted by: Kurihara
「飲みに行こう」とか「食べに行こう」と思ったときに、まず思い出す店は何となく決まっていて、知り合いがやっていたりする顔が利く店で、結局そうした店に行く機会が多くなります。
なぜかといえば、わがままが言えるということがないではありませんが、いちいち説明しなくても自分の好みを知っていてくれて、適当にその日の気分にあわせてサービスしてくれるので、特別に構える必要がなく楽なのです。
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飲食店でなくても、私がお世話になっている床屋さんは、今の家に引っ越してしばらくしてから発見したのですが、かれこれ6年ほどの付き合いになります。
好みを知っていてくれるので特別なことでもない限りいちいち説明もする必要もないので6年間一度もほかの床屋に行ったことがありません。

行きつけの店は、どんな店であれ店のスタッフが私のことを知っていてくれて、状況を察して対応してくれる安心感があります。

顧客管理というもの根本はそこにあって、顧客が頭で覚えていられる人数であれば、データベースなど必要ないですし、住所や電話番号をデータベースに記録することが顧客管理ではないのです。

つまり、顧客数が頭で覚えていられない人数になってきたときでも、お客様に行きつけの店の感覚を提供するためにデータベースを駆使すべきなのです。
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Posted by: Kurihara
今日から顧客管理とマーケティングについて、本に出ているような理屈ではなく、自分で試行錯誤した経験なども書いてみようと思います。
面白いかどうかは別として何か参考にしていただけるところもあると思います。

そもそも私は、このブログのタイトルで使っている「顧客管理」という言葉が好きではありません。
顧客を管理しようとするところにそもそも勘違いがあるわけで、管理ではなく顧客情報の活用が本来の目的のはずなのです。
役に立たない顧客管理データベースを大金を投じて開発したところで売上は伸びませんし、入力するのが面倒なだけで余計な仕事が増えるだけなのです。
まあ、情報漏洩のリスクがあるわけですから、そのリスクに見合った売上などが期待できることが絶対条件だと思うのです。